ポスト・フクシマの社会と言論

震災・原発危機以後の日本を歴史的な縦軸に位置付けて考えるサイトです。

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Saturday, July 16, 2011

メディア、行政、そして有権者は九電の「やらせ」から何を学ぶのか。

 『九電 やらせ 例文配布 報告書公表』

玄海原発(佐賀県玄海町)の県民説明番組をめぐる九州電力の「やらせメール」問題で、同社佐賀支店(現佐賀支社)が発電再開への賛成意見投稿を呼 び掛けた際、「電力不足で熱中症の犠牲になるのは子供」「最悪の場合は停電が懸念される」などと投稿意見の詳細な例文を取引会社などに配布していたことが 十四日、九電が公表した調査報告書で分かった。 
やらせ要請を受けたのは三千人近くに上り、百四十一人が意見投稿した。
言論統制の厳しい諸国であれば、こうした事実はすぐに明るみには出なかったと思います。九州電力も検証を行い情報を公開している向きもありますし、日本はまだまし、と言えるのかも知れません。しかし、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまう、という落とし穴には気をつけたいものです。

まず、引責辞任すれば丸くおさまるのか、という問題があります。果たしてトップを替えて不祥事再発防止の社内努力をする、という旧来の方法(business as usual)を繰り返せばよいのでしょうか?この問題には九州電力も気づいているようで、社外の有識者を委員長とする「アドバイザリーボード」を設置して、「不公正な行動をとるに至った原因分析、及び再発防止策の深掘りを行い、最終的な報告を取り纏める」とあります。実際の人選はまだのようですし、早急な実施と情報公開を望みます。また「社外有識者主導の再発防止策に努めます」というスローガンが形骸化しないよう鋭く監視する必要がありそうです。

しかしこれまで通りの自助努力を見守るだけで十分なのでしょうか。「安全神話が崩壊した」とさえ言われ、「原子力ムラ」の存在が人口に膾炙し、国民が原子力発電所の処遇を見守る、そんな時に起きた世論操作だからです。情状の余地が余りに少ない気がします。もし自助努力だけではもう不十分であるならば、それはどういうことなのでしょうか。それは、エネルギー政策におけるcheck&balanceを根底から見直すということだろうと思います。これまで「安心」「安全」「信頼」を担保したかのようにみえた行政と専門家そして電力会社にエネルギー問題を一任すればよいという時代は終わった、ということです。

政府や電力業界は信頼できないので一人一人が判断をしていかなければならない、ということもよく言われます。しかし政府が電力事業者がなくなることはないので、「あいつら逝ってよし」という態度に陥らずに、どうやって政府や電力業界、そして原子力の専門家の方々に社会的責任を全うしてもらうかを考えるべきでしょう。メディアと市民団体、そして投票行動を駆使して有権者が果たすべき役割を見つけていく必要がありそうです。

どのポイントも新しいことではありません。しかし、こうした議論を「積み重ね」「浸透させる」そういう機会がもっともっと必要なのだと思います。そうでなければ、有意義なことが色々言われてきたけれども結局は議論を出し尽くさず、またそれを具現化出来ずに雲散霧消、なんてことになります。

新聞、雑誌などの大手メディアに携わる方々には、特に「安全神話」崩壊後のcheck and balanceのあり方についての質の高い特集記事を期待したいです。歴史的に見ても、企業や営利活動に社会的責任を求めるような考えはヨーロッパではとても根が深いのですが、法的制度だけでなく、世論とメディアの批判的吟味がつねにそこにはありました。それは、制度的改チェックには限界があり、つねに抜け穴があったからです。例えば産業化の土台が整いつつあった18世紀イギリスでは、新聞や雑誌での批判や政府への直訴、コーヒーハウスでの熱心な議論があったからこそ、起業家達が自身の行動の社会性を常に説明し正当化せざるを得ないような商業文化が成立していきました。そんな歴史の縦軸からみても、原子力安全保安院の経産省からの分離などの組織論はもちろん、大手メディアとTwitterなどのnetwork型mediaが果たすべき役割なども視野に入れるような特集などはとても有意義だと思います。原発推進vs反原発という議論の極端な二極化を避けつつ、読者に豊かな視点を提供し、政府や関連団体が社会的責任を全うするよう促していく。メディアが果たせる役割がそこにあるのではないでしょうか。

原子力行政に携わる皆様には、政策、専門家側から見た問題の捉え方がどういうものなのかをもっと積極的に伝えて頂けると嬉しいです。現時点の所謂「世論」では「あいつらは利権にしがみついている」ぐらいの紋切り型が主流であるとすら言えそうです。こうした見方が誤解であるということを有権者に分かる仕方で理路整然と示すことが、原子力行政を支えてきた専門家や政策担当者の社会的責任の最たるものであるはずです。エネルギー政策は、発電所の近隣自治体に住む人達だけでなく、多くの有権者が固唾を飲んで見守る大問題になりました。組織のウェブサイトでの情報公開、経済産業大臣への公式報告、特定自治体への「説明会」という旧来の行動範囲を超えて、市民に語りかけて頂きたい。例えば真部電社長や、斑目氏、勝俣東電会長など要職につく方には新聞や雑誌などで1−2ページくらいの有権者にむけた原発再稼働へのアピールや原子力行政についての持論を展開するなどして建設的議論に貢献して頂きたいものです。

最後に、原子力とも行政とも、メディアとも関わりの無い一市民にも、ポストフクシマの日本を巡って果たすべき役割があるはずです。意見をもたない、立場を表明しない、ということは現状追認となってしまうのではないか。 それは巻き込まれた火事場で目をつぶって座りこんでしまうのと何が違うか。それは現実逃避にはなっても、おそらく状況を改善することにはならないのではないか。もちろん日々の生活に戻ることは大切です。僕らがそれぞれの職業に専心することは、確かに経済の活性化につながるでしょう。しかし、それだけでは不十分ではないでしょうか。電力を享受してきた有権者としての自分たちのあり方を、勉強不足や間違いや批判を恐れて発言をしない「お上まかせ」の行動パターンそれ自体を、問い直していく必要がありそうです。

九州電力の「やらせ」事件が引責辞任によって過ぎ去ってしまうこと無く、建設的な議論の一部として語られていくことを望みます。

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